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若者との対話からみえてくる彼らの困難と希望・・社会への入口で立ちすくむ若者たちに寄り添って​                                   べんぽすた代表・NPO法人仕事工房ポポロ理事長  中川健史     2013.10

中川 健史

べんぽすた代表
NPO法人仕事工房ポポロ理事長

 はじめに

 大量の仕事に追われ、昼も夜もない生活を続けている中で、ふと時間の止まったような人たちに出会います。内面には、嵐のような葛藤を抱え…それは、家族の問題であったり、仕事や人間関係の問題であったり、過去のいじめ体験であったり…それらを解消したり解決ができないまま、しかも、そこからの出口も見いだせないまま、大きな不安に苛まれ、入口にもたてず立ちすくんでしまった人たちです。嵐のような葛藤は、外からは窺い知れず、たいていは見過ごされてきました。そのせいか、これまでは親のすねをかじりながら、働かず、働けず、情けないダメな人間であるという世間からの評価がされてきました。それは、世間からの評価だけでなく、自らも役に立たず、生きている価値もない人間であると思い込み、外の世界が怖くて閉じこもっているように感じます。

 

 その人たちと向き合う時に、何度も時間が止まったような感覚になったことがあります。これは、日々の異常で膨大な「仕事」に追われ続けている非人間的生活の中で、むしろ彼ら/彼女らの時間が止まったような流れがとても心地よく感じられ、彼ら/彼女らの生活のリズムが実は、より人間的なのではないだろうかと思ったりするのです。

 

 事実、彼ら/彼女らの口から出てくる数少ない言葉は、そんなことを心底感じさせてくれることがあります。ここに、私が、彼ら/彼女らを否定的に見ることなく、むしろ積極的に、そして肯定的に学びたいと思わせてくれている何かがあります。そのような声を拾いながら、私が彼ら/彼女らから学んだことを報告します。

 

これまでの歩みの概略から…自己紹介を兼ねて

 私は、’80年頃から今日まで三十数年、地域で小さな学習塾を営んできました。もともとそのことに大きな志があったわけではなく、成り行きでそうなったというのが正確かもしれません。時は「乱塾時代」と揶揄されるような受験競争時代。その中にあって社会に巣くう必要悪のような存在として見られることが多かったように思います。

 

 その頃、一方で70年代以降の地域の子育て運動、教育運動の中から誕生してきた数少ない「塾」の存在もありました。ここでは、主題ではありませんので多くは触れませんが、私もそうした塾仲間と出会う中で、子どもたちの学力保障、進路保障を軸に学習会や研究会の活動を積み重ねてきました。そして「子どもの可能性を地域から」をテーマに進学塾とも補習塾とも一線を画し、「地域塾」として様々な子育て、教育運動とも連携しながら’80年代半ばから交流を続け、’90年に「地域教育連絡協議会」(地教連)を結成。さらに幅の広い活動に乗り出すことになりました。

 

 ちょうどその頃、学校現場では「不登校」の子どもたちが急増し始め、「地教連」に集まる塾もその問題を避けては通れなくなりました。同じ頃、発達障がいの子どもたちに関心を寄せる塾仲間もあって、当時の学習会などはとても貴重なものになりました。私が、不登校に関わり始めたのもちょうどその頃のことです。’93年に現在のべんぽすたの前身となる「親の会」を結成。現在にもつながるニュースレター第1号(‘93年9月号)も発行し、不登校問題を子どもと親の立場から考えていこうというスタートを切りました。(ニュースレターは、今年8月号で通算240号、満20年となり、現在の読者数は約300人)

 

 そのニュースレターは、またたく間に読者数100名を越え、私たちの活動が、多くの方に待たれていた活動であることも実感しました。そして’95年、現在地(岐阜市長良福光)で、フリースペースを開設し、不登校の子どもたちの受け入れを本格的に始めました。

 

 フリースペースは、小・中学生を中心に多い時には30人ほどの子どもたちが居場所として利用します。ここでの活動については、これまでもいろんな機会に報告してきましたし、今回の主題とも違いますのでここでは割愛しますが、ただ、ここに「学校」ではなく「学校外」の居場所で育ち、成長、発達していく子どもたちが登場してきたことは、間違いのないことでした。その子どもたちの成長、発達、そして生き方は、先行モデルがないだけに私自身も彼ら/彼女らがどのように「不登校後」を生きていくのかという関心を寄せるきっかけになりました。

 

 一方で、その頃は就職氷河期と呼ばれる雇用情勢の悪化と安上がりの労働力確保のための労働市場の自由化が推し進められ不安定雇用が増加していました。そして、フリーター、パラサイトシングルという言葉が広がり、実態を見ないまま、気ままな若者の気楽な働き方、甘えた若者たちと揶揄され、若者がバッシングの標的とされるようになってきました。

 

  私自身は、その頃から不登校とは違う生きづらさを抱えた若者たちからいくつか相談が持ち込まれてきていました。その訴えは、例えば「働けない」「働いても長続きしない」「友だちがいない」「親が理解してくれない」などと言うものでした。主に二十代、三十代の若者たちでしたが、今、振り返れば、就職氷河期で就職という椅子取りゲームで座れる椅子がなかった人たちであったわけです。

 

 ‘01年12月、私たちは岐阜市で「子育て、文化協同全国実践交流会」を開催し、そこで「ひきこもり」問題の分科会を設けました。すでにひきこもりの若者支援の先駆的取り組みを開始していた千葉の「ニュースタートの会」からは、若者当事者がワゴン車で駆けつけてくれ、そこでの出会いは印象的でした。

 

  ‘03年、個人的に相談を受けたり、交流してきた若者たちに呼びかけ、私の塾を会場に月一度の交流会「学び座」を始めます。この「学び座」は、’07年に現在の法人「仕事工房ポポロ」を始めるきっかけにも土台にもなりました。そこには十代後半から三十代の若者たちが多い時で十数人、男女を問わず参加をしてきました。参加していた若者の中からは公務員試験に合格したり、週二、三回、数時間のバイトから始め、働きぶり、仕事ぶりを認められ、正規雇用されたりした若者も登場しましたが、一方で深刻な問題も分かってきました。

 

 会場にしていた私の塾は、岐阜市の北東部に位置し、岐阜駅からでもバスで片道500円程の料金がかかります。そのバス代がない、あるいは、原付バイクで来ていた若者も、200円、300円のガソリン代が工面できずに参加できないという連絡がたびたびくるのです。

 

 寝るところと食べるものは親抱えで何とか世話になっているものの…それすら本人には屈辱的なのですが…日常の「おこずかい」までは、どうしても親に求められず、わずかなお金にすら困っている様子が浮き彫りになってきたのです。そんなことから、仕事をつくり、少しは小銭を稼ごうという願いをこめて「仕事工房ポポロ」が誕生しました。(‘08年2月法人認証)

 

  ‘03年は、それまで若者自身のわがまま、気楽さ、勤労意欲の低下、甘えとしてバッシングされてきた問題が、実体として深刻な事態であることが明らかになる中で、国レベルでも、政策的対応がとられ始めます。ここから’11年の「子ども、若者育成支援推進法」、その後の政策に至る今日までの若者支援策の流れについては、私に求められているところではなく、すでに多くの専門家からも報告されているところであり、それらを参考にしていただければと思います。

 

ひきこもりと若者問題

 「ひきこもり」の概念は、政府や関係機関からも発表もされていますが、私たちは、「ひきこもり」を核にしつつ、もっと広く「生きづらさを抱えた」若者というスタンスをとっています。ひきこもりの若者は調査によっても数値に違いもありますが、一説には160万人とも言われており、時々は、コンビニやレンタルショップなどへは出かけるものの、家族以外とほとんど交流のない層(準ひきこもり)も入れると300万人とも言われています。それに加えて「生きづらさ」を抱えている若者にまで範囲を広げてみると、とてつもなく大きな数になっていることはまちがいありません。小・中学生の不登校が11万人、13万人と言われ、社会的にも大きな問題になっていることから考えても、百数十万人、三百万人と言われる数はけた違いに大きなものです。

 

 また、これも同様に、若者の概念も多様です。一般に行政による「若者支援」の対象は、おおむね39歳までと線引きがされることが多いのですが、ひきこもりの長期化、高齢化も進行しており、私たちのところにも40代はもちろん、時には50代の人もやってきます。先に述べた就職氷河期世代が、すでにその年齢に到達したということです。さらに、ひきこもりは、不登校の延長と捉えられてきたこともあって若年者の問題と考えられがちですが、実は、70歳以降の高齢者のひきこもり(社会的孤立)も別な意味で深刻な問題となっています。今や、「孤立」の問題は、若者たちだけに限らず、全世代にわたって深刻な影を落としています。しかし、そのことは、ここでのテーマではないので触れませんが、一つだけ述べておきたいことがあります。’11年に「子ども、若者育成支援推進法」が施行され、日本で初めて若者に対する法律ができました。これ自体は画期的なものであったわけですが、その時点ですでに「支援法」の対象となる39歳を越える人たちが登場していたということです。’90年代の就職氷河期から20年、そもそも座る椅子がなかった人たちが、そのまま40代を迎えてしまったということです。これは、そのまま、その世代が抱える困難に直結しています。この年齢層、つまり40歳代、50歳代を支援する法律がないこと自体が問題ですが、そもそも、その世代は社会の中核として活躍している世代であり、大きな問題を抱えている世代、つまり、社会的弱者としては考えられてきませんでした。

 

 2012年3月11日から全国規模で24時間365日休みなく受ける電話相談「よりそいホットライン」(フリーダイヤル0120-279-338)が始まっています。ここには、昨年一年間に1000万件を越えるアクセスがあったと報告されています。その規模には驚くほかありませんが、中でも男女を問わず、40歳代の相談が最も多く、生活困窮、就労、家族、子育て等、社会の中核として最も生き生きと活躍されているはずの世代が実は、もっとも困難を抱えている世代であることがあぶり出されました。

 

 少し、横道にそれてしまいましたが、「ひきこもり」を中心にした若者問題は、そうした、40代や50代、そして高齢者の問題も視野に入れて考えていく必要に迫られています。

 

 さて、これまで「ひきこもり」問題は、精神医療や心理分野からのアプローチが中心でリードされてきたように思います。しかし、そのことを不要とか、軽視すると言うものではありませんが、この問題は、いまやこの社会における若者全体を視野に入れて捉えなければ、本質が見えてこないように思われます。

 

 すでに非正規と言われる不安定雇用は、働く人全体でも三分の一に迫り、若者世代に限れば、半数がそのような状況下に置かれています。その多くは、低賃金状態に置かれています。とりわけ年収200万円以下のワーキングプアは、1000万人を越えるといわれ、年収100万円前後で働いている若者も多数います。そればかりか、正規就労している若者も多くが熾烈な競争の中に取り込まれ、サービス残業はもとよりろくな休みもとれない長時間労働にさらされています。精神的にも追い込まれながら、耐えているというのが現実です。それがさほど大きな社会問題となっていないことは「ブラック企業大賞」とされた某居酒屋チェーンの社長が、堂々と与党の参議院比例代表の候補になり、当選したことからもあきらかです。若者が使い捨てにされている現実を直視しないで、「我慢できない」「わがまま」な若者たちをもっと厳しく鍛えよ、という社会のまなざしが一方で歴然と存在しています。

 

 そうした若者たちの労働環境にも密接に関連して、晩婚化が進行し、結婚しない、あるいは出来ない若者の割合も急速に増加しています。現在の親世代の生涯未婚率が数パーセント代だったのに比べて現在は二ケタを越え、男性に至っては20%を越えたと報告されています。現在の若者世代の生涯未婚率は、男性が35%、女性も25%を越えるとの予測もあります。もちろん、結婚をしないという選択を否定するものでは決してありませんが、私の周辺にいる若者たちは、そのほとんどが結婚したいという願いを持っています。持っているけれども現実は出来ない、と捉えた方が正確です。

 

 すでに見てきたように、非正規雇用が増え、若者が不安定な生活に追いやられていることにこそ目を向けるべきです。彼ら/彼女らが「屈辱的」と表現している親の援助がなくては生活もできない状況にこそ、その大きな原因があります。行政が行っている少子化対策がいかに枝葉末節的対策であるかということが見えてきます。

  このように見てくると、若者のひきこもり問題は、特別な若者の問題ではなく、広く若者全体の問題につながる本質的な問題だと分かります。そのため、最初に述べたように、彼ら/彼女らの声の中に大事な方向性が見いだせるのではないかと感じています。

 

古くて新しい「文通」という試みでつながった若者たち

(ここに登場する方は、すべて仮名です。また、内容の一部についても加工がしてありますのでご了承ください)

 

 私自身は、現在、十人を越える若者たちと古典的な文通という方法、加えてメール、時には電話や直接お会いして交流を続けています。8割が女性、残りが男性です。ひきこもりは一般的に男性の方が多いといわれ、私たちの居場所に来てくれている人も男性が多いわけですが、手紙やメールを通しての交流は女性が多くなっています。これは別途、検討が必要かも知れません。日本の男性にとって、悲しさや苦しさを口にすること、弱音を吐くことは、男らしくないという社会規範があり、彼らもそのような意識を持って生きてきたのかもしれません。そのため自分の感情を言葉で人に伝えることができないでいます。対社会的には雄弁で話し上手であっても、自分の本当の心の襞を語ること、自分のホンネを伝えること、辛さ、悲しさなどの気持ちを口にすることは苦手です。

 

しかし、ここではこの問題をこれ以上広げて考えることはできません。あくまで現在進行形である若者との交流から見えてきたものを題材に考えていきたいと思います。

 

 「文通」による交流を思い立ったのは、’01年に作家の旭爪あかねさんがひきこもりをテーマに小説「稲の旋律」を書かれたころからそれをヒントにして10年ほどずっと温めてきたものです。この小説は、ひきこもりの30代の女性と40代の農業青年が手紙を通して交流しながら、農業を軸に一人の女性が自分を取り戻し、回復していく様子をえがいた物語です。「アンダンテ」という映画にもなりました。

 このネット時代に「手紙」「文通」ははたして可能なのかという思いはありましたが、思いも寄らず、そのことが現実のものとなりました。

 

 ひきこもりは、一般的には多少でも経済的に豊かな家庭だからこそ許されると言われてもきました。つまり、経済的にも「わがまま」が許されるからだということですが、そうではないという事実もすぐに明らかになりました。

 

ある日、20代の女性、のぞみさんから電話で「ひきこもっている」という訴えがありました。二、三度こちらから折り返し電話を入れて聞いてみると、ネット環境はおろか携帯電話もないことがわかり、しかも固定電話も通話料がかかるからと家族から厳しく制限されていることも分かりました。

 

早速、私たちのニュースレターに返信用の切手を同封して送り、手紙で交流することを了解してもらいました。そして最初に戻ってきた手紙を見て、再度、愕然としたのです。封筒は、新聞広告の白紙の裏面を使い、セロテープで止めたもの、便せんは使い古した大学ノートのページを半分に切って、年頃の女性らしく色鉛筆を使ってかわいい絵柄を自分で入れて作ってありました。事情を聞くと、便せんも封筒も切手もないことがわかり、早速、私たちの方から寄付で集めたそれらを送りようやく交流が始まったのです。のぞみさんは、中学を卒業後にひきこもりをはじめ、十年になります。不登校経験はありません。中学時代は、かなり深刻ないじめの間接的被害者でした。そのことがきっかけで、卒業後からひきこもるようになりました。交流が始まってから約一年。欠かさず毎月のニュースレターに投稿をしてくれていますが、まだ、お会いしたことはありません。

 

 ゆかりさんは、30代。中学1年生から不登校をはじめ、二十代の半ばに通信制高校を卒業したものの、二十年近く、家族以外にはほとんど交流できずに過ごしてきました。のぞみさんと同じく、私たちの方から便せん、封筒、切手を送って交流しています。

 お二人とも、当初は、郵便ポストまで手紙を出しに行くことが大きなハードルとなっていました。「人がいないことを確認して、大急ぎで」出しに行ったり、「夜、暗くなってからガタガタ震えながら」ポストまで行ったと教えてくれました。

 

 ただ、「外の人とつながれた」「いろんな人がいて、いろんな人が悩んでいて、読んでて知りました。私は、一人ではなかった」「読んでくれる誰かがいる」ことが間違いなく、彼女たちを外に向かわせるエネルギーになったであろうことは、その文章の端々から容易に理解できます。
 

 貧困が、彼女たちに大きな情報格差を生じさせていることは明らかです。そればかりか、のぞみさんの場合は、ひきこもりであるがゆえに、必要な医療につながることができていません。医療費の問題もあるのでしょう。本人が望んでも家族が積極的に医療につなげるということもないようです。

 

 ゆかりさんの場合も、知り合った当初は、医者に行けず、辛うじて母親が代わりに薬を受け取りに行くということがありました。これも診察もしないままで、そのようなことを続けることはできません。しかし、その後、何度か私たちのところにまで出てくる機会があったり、ニュースレターでの交流が始まったことで、しばらくして病院に行けるようになりました。ただ、医者の前では、大きな帽子を深くかぶって、マスクをして下を向いて黙っているだけという状況が続いており、自分の状態を説明できるところには至っていません。家に帰って来てから「あぁ、ダメだ。何も言えない。私の苦しさは誰にも理解してもらえない」と大きく落ち込む日々が続いています。

 

 ひきこもりの課題の一つに必要な医療を受けることができないという問題があります。精神科も含めて、訪問診療制度を拡充して行く必要があります。また、貧困問題を伴うひきこもりは、生命を脅かすような事態もあり得るという理解も必要です。

 

 さて、ニュースレターの読者である知人の女性から「『手紙』の効用について書いてある」と紹介された本に、拒食症で苦しむ女性、祐子さんの次のような紹介がありました。 

『祐子さんにとって心療内科の医師だけが自分を理解してくれる人でした。結果的に祐子さんはその医師にあてて、膨大な量の手紙を書いています。

 手紙を書く、というのは治癒に向かう有力な手段のひとつです。書くことで自我の再構築をしやすくなるのです。ただ、考えているよりも、書いた方が自分の考えが明確になって、何をどう考えているか確認することができます。自我の再構築をするために文章を書くことはどなたにもすすめられます。

 

 そして、文章を書いて読んでもらうことは、もう一つの効用があります。自分の気持ちが確かに誰かに確実につながっていると実感できるのです。自分の気持ちを話しただけでは話はその場限りで終わってしまいますが、手紙は後々残るのでほかの人に読んでもらうことができます。そんなふうに自分を理解してくれる人だったら誰でもかまわないから自分の気持ちを伝えたいと願うのも、心に葛藤を抱えた人に共通する心の動きなのです。…略…』(「食べない心」と「吐く心」 摂食障害から立ち直る女性たち 小野瀬健人著 主婦と生活社)

 

 「文通」は、他に通信手段がないだけという単純な選択肢ではなく、メールや電話などにはない魅力があります。何より、ポストに投函してからの時間差がとてもいいものです。しかも、ここで指摘されているような意味を考えるとさらに検証をしてみる必要があるかもしれません。私たちの「文通」は、単に一対一の関係だけではなく、一人対ニュースレターの読者という広がりを持っています。このような試みは、他ではあまり聞いたことがありません。それを通して、読者同士の個人的交流も生まれてきました。

 時代遅れと思われがちな紙媒体のニュースレターが、このような状態の人たち…つまり、外とのつながりを求めながら、その手段もなく孤立している人…にとっての重要なツールであることが、分かってきました。現在では、毎月二部、三部のペースで、若者当事者の読者が増え続けていることからもそれは窺い知ることができます。 

 

 さて、もう一人は、幸代さんという20代の女性。大学の途中で行けなくなり、しばらくひきこもっていました。彼女とは、手紙だけでなく、メールや電話、そして直接お会いしたりして交流しています。私たちの「学び座」や「家族会」にも何度となく参加しています。彼女は、自分自身のことや家族のこと、心情なども長文の手紙で伝えてくれます。私はニュースレター上で返信します。

 幸代さんからは、親の期待に応えようと自分の人生を見失ってしまったことや同世代から遅れをとること、置いてきぼりにされる不安を持っています。しかし、これは、彼女に限ったことではなく、いったん学校と学校から社会へというレールを踏み外してしまった人たちに共通する心情です。逆にいえば、現在、そのレールに乗っている人たちは、それを踏み外す恐怖にとらわれて必死にしがみついていると言えるのかもしれません。

 

若者たちとの対話から…心のあり様と声を聴くということ

 三人の若者たちを通して、ひきこもりの具体的な状況をお伝えしようとしましたが、もっと大きな部分は、その人たちの心のあり様です。それぞれが抱えている事情は、一人ずつ違います。その違いの中から共通項を見つけるとしたら、間違いなく、他者との信頼できる関係を失ってしまったことだと言えます。それは、家族、親戚、友だち、仲間、地域の近隣の人などとの関係です。結果として誰にでも必要な「居場所」を失ってしまいました。そのことを解決するには、その人たちの置かれている孤立状況を変え、他者との関係性を肯定的に回復すること以外にありません。それによって初めて自己を取り戻す前提条件ができます。

それぞれの人が背景に抱えている個別事情…周辺の人間関係にも影響したであろう病気や、障がいを抱えていたとしても、それは、専門家が判断し、関われることであって、私たちが決めることではありません。ただ、それも含め、あるいはこれまでの負の経験の蓄積によってある意味では私たちの想像を越える不安感、緊張感、屈辱感、恥、不信、罪悪感、自責感、無力感、絶望を抱えています。これらの人に関わる周辺の人たちは、そこにどれだけ想像力を働かせることができるかがカギになってきます。

 

 それをどうしていけばいいのでしょう。一つには、これらの人たちは、これまでに自分の意見をていねいに聴きとってもらったという経験を持っていないか極めて希薄だったということの理解が必要です。そのことによって、他者との些細なトラブルにさえ対処できず、そのまま他者を信じることができなくなっています。

 

愛子さんは、「自分なんてさ…産まれてきたのが間違いだったよ…誰からも愛情なんてもらえなくて…相談しても話を信じてもらえなくて、どんだけSOSをしても誰も来てくれない。どこまで相談して話をすればいいのか分からない。結局、自分が悪いんだって、自分なんかいなくなればいいのにって、毎日毎晩考えて…自分がいなくなれば親も楽になれるんじゃないかなって思いました。この話だけは信じてください。本当に毎日毎晩しんどいし、辛くて…朝になっても時々思い出しちゃって頭の中がいろんな事に対する恐怖と不安とかがあって1日1日が長く感じて、体もそうだけど耐えれないです。もう自由になりたい…楽になりたい…」とメールしてきました。

 誰も信じてくれない…過去の信じてもらえなかった経験も重なって、それでも必死に訴えてきます。「自分がいなくなれば」という言葉の裏側には「それでも生きていきたい」という強い願いが隠されています。「信じてるよ」という上辺の言葉だけでは簡単に見透かされて、これまでの負の経験は埋まることがありません。自分では対処できないほどの様々な負の感情は、何度も何度も、誰かに語ることを通して外に吐き出さないと人の内面に深く根を張り、結果、身動きがとれなくなってしまいます。そのためにも「聴きとってくれる他者」の存在がどうしても必要です。

 

 私は、メールもいつでも返信ができるとは限りません。それでも何通かのメールの後に必ず「ちゃんと読んでいるから」とだけは伝えるようにしています。回答をどうしてもほしいわけではありません。中身によっては、簡単に返せないこともあります。すると「読んでくれているなら…いいよ…」と返事がきます。聴き取ってくれる他者の存在こそが必要なのです。その際、どんなことでも信じて受け入れる…そのことだけを心がけています。

二つ目は、他者との肯定的なつなぎ直しの場所を保障していくことです。安心して多様な人たちの交流できる場所…ポポロの居場所はそのような場所として位置付けられます…の保障は、次のステップとしても大事になってきます。

三つ目は、自己有用感、自己肯定感、自尊感情の回復です。自分が自分であっていい、人の役にたてている、この世に存在している意味があると感じることは、その人自身のエネルギーを上げます。ポポロのプチ就労体験やボランティアの場は、ここに位置づけられるかもしれません。

四つ目は、それによって自信を回復することです。

これらのことによって初めて、自分で考え行動するという自由を獲得していけるような気がします。それは人によっては長い、長い時間のかかる困難なプロセスです。自分一人でやるにはとても難しい作業でもあります。

安心できて自分を尊重してくれる人間関係、安心な環境、そして、つぶされた自分への自信の回復、自分は価値ある素晴らしい人間なのだと思える自尊心の回復…これらのプロセスがどうしても必要だということです。

 

今求められる若者支援への視点

危機的な困難が若者を襲い、そのことで社会全体がある意味で大きな損失を被っている現状に対して、政策レベルでもようやくその取り組みが開始され始めました。しかし、残念ながら、それはいち早く就労に直結する支援、つまり費用対効果が見えやすい形での支援に傾いているきらいがあります。

しかし、ここまでお伝えしてきたように、彼ら/彼女らは、これまでの育ちの過程で傷つけられ、それらがベースになって苦しんでいます。前提となる「自分は生きていていいんだ」という手ごたえが感じられる関係性の構築、支援こそが求められています。これは、数値では評価できないだけに公的な支援がほとんどありません。

私が、彼らの抱えている困難によりそいながら活動を続けている原点は、日本の社会全体にとげとげしい人間関係が広がり、その中で多くの人々が息苦しさを感じ、安心できる居場所を求めている気がしているからです。弱者がより弱者をたたき、社会的に排除していく構造が広がっています。彼ら/彼女らの心の叫びは、それを体現しています。

二十代の死因の第一位は病気でも事故でもなく自殺という悲しい現実があります。「希望なんて何にもないよ」…今しがた電話で話していた真理子さんの言葉です。「例え、どんなにしんどくても自分が我慢すればいい事だから…だから独りぼっちになってもいいんだよ…もう1人でいい…どうせ自分なんかダメな人間だから生きてても価値がないし邪魔者だから…」。これは今しがた届いた愛子さんのメールです。

真理子さん、愛子さんに限らず、私のお付き合いしている若者たちは、ほとんど例外なく同じように口にします。若者たちがこんな状況に追い込まれた時代は、かつてあったでしょうか? 若者たちの未来は、私たちの未来です。孤立する若者は、全世代の孤立する人々のことです。「生きている」手ごたえが感じられない若者たちの苦しみも全世代の苦しみです。

医療にもつながれない、皆無の公的支援、足りない社会的資源、そしてそこから生み出されてくる孤立とひきこもり、親密な関係を持てない、他人を信頼できない、希望喪失と絶望という彼ら/彼女らの直面する困難は、すべての人々につながっている問題だと私は考えています。

 

 おわりに

 ときどき、若者たちの声を紹介していると、さらしものにしているのではないかという非難が「専門家?」から寄せられます。しかし、問題の所在は、当事者が語らなければ分かりません。若者バッシングが、大手を振ってまかり通っていると、困難を抱えた若者たちは口を閉ざしてしまいます。彼ら/彼女らが語らなければ、問題の実態は明らかになりません。私たちが若者たちが語れる社会環境を創りだしていくことが、この問題に取り組む第一歩です。一人ひとりが抱えている「個人的問題」を「社会問題」化していく役割が私たちにはあります。その社会環境をつくるために、まずすべての若者バッシングをやめなければなりません。

 

 「大変なことをされていますね」…私は、よく周囲の人たちからこのように声をかけられます。でも、日常は、大変なことばかりではありません。私が、この小論とニュースレターの発行が重なって苦しんでいる時には、少しゆとりのできた人たちから深夜まで、いや明け方まで「気分転換に読んでね」「がんばれ」「ファイト」とメールで伴走してくれます。もともと昼夜逆転している人も多いですから出来るのだろうけれど、それだけではありません。苦しみの最中にいる人たちは、そんな時も他者のことに思いを寄せることができません。いつものように「辛い」「苦しい」といった訴えも届きます。ようやく「他者を気遣えるようになった」という変化を見つける楽しみもあります。そんなときは、我がことのように嬉しくなります。時には、「年の離れたお友だち」として接してくれる人も現れたりして、こうした楽しみは体験しないことには分かりません。そして、間違いのないことは、彼ら/彼女らは、私自身の人生を豊かにしてくれているということです。たぶん、これからもそんなことを考えながらお付き合いをしていくのではないかと思っています。

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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